第2次世界大戦後に戦犯として処刑された日本の首相の遺灰が太平洋に散骨されていたことが、アメリカの公文書から明らかになった。(文中一部敬称略)
東条英機元首相は、1941年日本軍による真珠湾攻撃にも関わった人物。当局は、東条の支持者が遺灰を探し、殉教者として扱うことを恐れて散骨したという。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では東条を含めたA級戦犯7人が処刑され、火葬された。
その後、アメリカ空軍機が太平洋に遺灰を投下したという。
このことを示す公文書は、戦犯の死刑執行があった1948年12月23日に米軍のルーサー・フライアーソン少佐が書いたもの。米国立公文書館で秘密指定が解除されたのを、日本大学の高澤弘明専任講師が発見した。
公文書には、「遺体を受け取り、火葬を監視し、以下の処刑された戦犯の遺灰を第8軍の連絡機から海に散布したことをここに証明する」と書かれている。その下には、東条を含む7人の戦犯の名前が記されていた。
フライアーソン少佐は、死刑執行に立ち会ったあと、個別の骨つぼに入れられた遺灰を持って連絡機に乗り込んだ。公文書には、「太平洋の横浜沖約30マイル(約48キロメートル)地点から、私個人が広範囲に散骨した」とつづられている。
また、使われた火葬炉からは「完全に遺灰が取り除かれ」、「どんな小さなかけらも見逃さないよう」細心の注意が払われたという。
高澤氏はAP通信の取材に対し、アメリカ政府関係者は東条の支持者が遺灰を見つけないよう苦心していたと語った。
「米軍は遺骨が神聖視されないようにしたほか、遺骨を日本に戻してはいけない、それは究極の屈辱になると思っていたのだと思う」
遺灰は埋葬こそされなかったが、処刑された戦犯らは東京の靖国神社に祭られており、議論の的になっている。
この神社は1869年に建立され、明治維新以降、国のために命を落とした日本人約250万人を祭っている。ここには、処刑された東条ら7人を含むA級戦犯14人も含まれている。
日本の右派の政治家は、この神社を愛国の象徴とみている。一方で左派の政治家や、日本軍による帝国主義的支配を受けた中国や韓国などは、軍国だったかつての日本を神聖視していると批判している。
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東条英機は旧日本陸軍大将で、1941~1944年に日本の首相を務めた。日本の領土拡大や欧米の植民地への先制攻撃を訴え、アメリカを第2次世界大戦に引きこんだ真珠湾攻撃、そして東南アジアや太平洋諸国への侵攻に携わった。
その後、戦局が悪化する中、1944年に昭和天皇からの支持を失って辞任した。
日本は1945年、広島と長崎への原爆投下を経て無条件降伏した。東条は米軍による逮捕直前に自宅で拳銃自殺を図ったものの、失敗に終わっている。
その後1948年11月に、他国に侵攻し、捕虜を非人道的に扱う指示を出したなどの戦争犯罪で有罪となり、絞首刑による死刑が確定した。
死刑執行は翌12月だった。