日本の核兵器廃絶運動の中心的存在だった坪井直(すなお)さんが24日、亡くなった。96歳だった。
日本国内の報道によると、坪井さんは貧血による不整脈で亡くなった。
坪井さんは20歳だった1945年8月6日、広島市内で広島工業専門学校(現・広島大学工学部)に通学中に被爆。全身に大やけどを負った。
この日の原爆投下では約14万人が死亡した。坪井さんはその後、人生を通して核廃絶の運動に献身的に取り組んだ。
オバマ氏と面会
アメリカのバラク・オバマ氏が2016年、大統領として歴史的な広島訪問をした際には、同氏と面会した。
2人は握手し、約1分にわたって話をした。
原爆は第2次世界大戦の終盤、連合国が日本に反撃する中で投下された。その後に米大統領が広島を訪れるのは、これが初めてだった。
日本原水爆被害者団体協議会の代表委員などを務めてきた坪井さんは、のちにオバマ氏との面会を振り返り、思いを伝えることができたと語った。
坪井さんは被爆直後の状況について、「裸なんですから。逃げていたらついに歩くこともできなくなって。そこで『坪井はここに死す』と(地面に小石で書いた)」、「気がついたり、意識があったり、なかったり。9月25日になってやっと我に返った」と、AFP通信に話していた。
AP通信には、被爆後は体が弱く、傷も負っていたため、回復は床をはうことから始めなくてはならなかったと話した。
ピカドン先生
坪井さんはエンジニアを学んだ後、中学校の数学教諭になった。生徒たちに戦時中の体験を語り伝えた。中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターのインタビューでは、生徒たちに「ピカドン先生」とあだ名されていたと語っていた。
核廃絶運動では、「ネバーギブアップ」と周囲に呼びかけてきた。核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲さんは、「坪井さんが見せた姿勢やその言葉をこれからも頼りにして、核廃絶に向けて道を誤らないように進んでいきたい」とNHKに話した。
坪井さんはがんなどを患い、病院で貧血の治療を受けるなどしていた。
原爆の被爆者は現在、広島と長崎を合わせ約12万7000人となっている。
AP通信によると、坪井さんは娘2人と息子1人がいる。