テッサ・ウォン、岡崎恵理 (広島)
箕牧智之(みまき・としゆき)さんは、あの日の夕焼けが黒ずんでいたのを覚えているという。自分が泣いていたことも。原子爆弾が、広島に投下された日のことだ。
爆心地から約17キロ離れた場所で暮らしていた。わずか3歳だったが、「その日の午後、私の家の前をぞろぞろ人が歩いていた。みんな髪はボサボサ、服はボロボロ。履物のない人もいた」。広島市内から逃れてきた人たちだ。
廃墟と化した広島の街へ、家族と一緒に向かったのも覚えている。国鉄勤務で、広島市内で働いていた父親を探して。
幼かったので、当時の記憶は細切れだ。しかし鮮やかだ。あれ以来長年、たくさんの子供や記者に語り続けてきた。被爆者の苦しみを記録しようとする人には誰でも。しかし、被爆者の数は年々、減り続けている。
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「私たちのように戦争を経験した者、原爆を経験した者は、日本全体からいえば、わずかしかいない。人数は少ない。だんだん亡くなっていっている」。箕牧さんは、原爆死没者慰霊碑の近くに座り、私たちにこう話した。19日のG7サミット開会式典で、アメリカのジョー・バイデン大統領を含む各国首脳が追悼の献花をした慰霊碑だ。
「そのうち被爆者は1人もいなくなる。その頃に、日本がどう変わるのか」
被爆者がいなくなったら、日本はどうなってしまうのか。日本国内で多くの人が、同じように恐れている。日本そのものは高齢化し、戦後の奇跡の経済成長は失速した。今や中国の経済と軍事の力に、脅かされている。新しい脅威が押し寄せようとするなか、不安な日本の人たちは、守りの強化を求めている。
与党の自由民主党はこれまで長年、軍事化に否定的な有権者によって手かせをはめられてきた。しかし最近になっていきなり、その結び目が緩みはじめている。岸田文雄首相の政府は、近年にない大規模な「防衛力の抜本的強化」を目指しており、防衛費を増額しようとしている。
防衛力をひとつ強化しようとするたびに、日本はその平和主義の理想をめぐり、分断を深める。
「世界はいま、混迷の時代を迎えている」と、箕牧さんは言う。「岸田総理は広島の選挙区出身だけど、最近になって軍事予算を引き上げようと言いだした」。
「私からしたら、戦争を始める気ですかと。間もなく戦争をする気ですか。戦争に誰が行くんですか」
難しいバランス
広島と長崎に原爆を落とされ、日本は降伏した。そしてその後、数年のうちに、日本は帝国主義の軍事大国から平和主義の国へと一変した。
この変化を確たるものにしたのは、戦後日本を占領したアメリカによって作られ、1947年に施行された日本国憲法だ。その第9条の第1項は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定める。第2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とする。
日本の平和主義はここから生まれた。そして同時にこの憲法9条こそ、平和への希求と防衛の必要性をいかにして両立させるか、両者のバランスをいかにしてとるかという、この国の苦しみの核心にある。9条ゆえに日本は弱くなったという人もいれば、9条の変更は日本の平和主義の放棄にほかならず、それはつまりは歴史のつらい教訓を忘れ去ることに等しいと苦言する人もいる。
憲法9条を改正せよという呼び声に、日本の世論の大部分はこれまで強硬に抵抗してきた。多くの指導者が9条の変更に取り組んでは、挫折してきた。しかし、日本の安全保障が何かしら脅かされるごとに、日本政府は憲法解釈という形で9条の実際的な運用を拡大してきた。
戦後日本は自衛隊を持った。1950年の朝鮮戦争と冷戦のはじまりに対応する形で創設された、軍隊の代わりだ。1990年に始まった湾岸戦争を機に、日本は初めて自衛隊を国連の平和維持活動(PKO)に参加させた。海外の武力紛争に自衛隊を派遣するのは、初めてのことだった。
より最近のことで、PKO派遣よりもはるかに激しい論争となったのが、2015年に安倍晋三首相(当時)が押し通して成立させた安全保障関連法だ。これによって自衛隊は、集団的自衛権の行使が認められるようになった。つまり、同盟国が攻撃された場合などを条件に、自衛隊による海外での武力行使が認められたのだ。
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「日本国民にとって、平和主義とは固定観念だ(中略)決して手放したりはしない」。テンプル大学ジャパンキャンパスのジェイムズ・D・ブラウン准教授はこう言う。
「その代わりに、平和主義の意味を再定義するプロセスが続いている。かつては武力行使への反対を意味していたものが、今では侵略行為には反対するという意味に変化している。そして、自衛の名の下での武力行使がどういう状況なら認められるかという話で、認められる状況は増え続けている」
日本はまたしても転換点にある。敵対勢力に包囲されるのではないかという恐怖をあおるような、前例のない事態が続いているからだ。
強気の中国は、自国の軍隊に巨額の予算をつぎ込んでいる。南シナ海での動きは大胆さを増し続けている。とりわけ、日本南端の諸島にきわめて近い台湾に対して、中国は挑発的とも言える行動をとり続けている。このため、もしも台湾有事となった場合、日本はアメリカと中国の対立に引きずり込まれるだけでなく、アメリカの同盟国として攻撃の標的になるという懸念が、日本では高まっている。日本には駐留米軍の基地が複数点在する。アメリカ軍にとってはアメリカ国外で最も多く兵が集中するのが、日本なのだ。
日本を絶えず脅かし続ける存在が、北朝鮮だ。核兵器保有への動きは昨年、記録的な回数のミサイル打ち上げと共に先鋭化した。日本上空を通過したミサイルもある。ロシアによるウクライナ侵攻と、ロシアによる核使用の可能性も、核戦争が始まるのかという懸念を増幅した。ロシアと中国の関係強化もいっそう大きな危険をはらんでいる。
日本は今や非常に危険な地域にいるのだと、多くの日本人が一般的に認識している。東京大学公共政策大学院の鈴木一人教授はこう話す。
日本において軍備拡大を求める声はもう長いこと、それによって国の誇りを取り戻そうと主張するごく一部の保守派政治家の「専売特許」だった。しかし、このところの世論調査では、以前より広く軍事力強化を支持する国民が増えているようだ。
政府による世論調査では、自衛隊の増強を求める国民が2018年には29%だったのに対し、昨年末の調査では41.5%に上がっていた。「安全保障条約を続け、自衛隊で日本を守るべき」という選択肢を選んだ人は、実に90.9%に達した。読売新聞が今月初めに公表した世論調査では、51%が「戦力の不保持を定める9条2項を改正する必要」が「ある」と答えている。
広島にさえ、こうした改憲に肯定的な人たちがいる。
「田中」と名乗る女性は、北朝鮮のミサイルのニュースを聞くたびに、「ぞっとする」と私たちに話した。
「もし自分たちのところに飛んで来たらどうしようという思いと、どうやって自分たちを守るのかと言われたら、どうしたらいいんですかね。日本と北朝鮮は戦争をしているわけではないけど、いまそうやってミサイルが飛んでくる心配がある。日本を防衛するためのものが必要なのか、そのために防衛費が必要なのかなと考えてしまう」
「いきなり攻撃されることも、今の世の中にはあるので。防衛費も必要なのかなと思う。日本が戦争に向かうのではない、自分たちを守るためのものだと捉えて、必要なのかなと」
これは自民党にとっては実にありがたい意見だ。「現行憲法の自主的改正」を結党以来の党是とする同党は、常に軍備拡大を推進したし、故・安倍元首相の政権下でそれは特に顕在化した。近年ではアメリカ政府も(とりわけドナルド・トランプ政権は)、安保同盟における日本側の負担拡大を強く働きかけている。
「日本政府は常に、自衛隊の能力拡大を目指してきた。これまでは世論がブレーキとなっていたが、今ではそのブレーキもなくなった」と、前出のブラウン教授は言う。
岸田政権は戦闘機を購入し、航空母艦を改修し、巡航ミサイル「トマホーク」500発を購入する。昨年末に閣議決定した防衛力整備計画では、今後5年間の防衛費を計43兆円とした。
日本政府の方針では、2027年度の時点で日本の防衛費は国内総生産(GDP)比2%となり、世界3位の規模になる。
自民党は今また改憲を目指して勢いを増している。自衛隊の存在を憲法で明確に規定し、日本は自衛のための戦闘力を保持しても良いのだと明記するためだ。
皮肉なことに、自民党の中で岸田氏は長くどちらかといえばハト派だとみられていた。岸田氏にとって広島は一族の地元で自分の選挙区だ。親族を原爆で失っている岸田氏には、「核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志」という著書もある。G7サミットを広島で開くという選択は、核不拡散戦略の重要性をはっきり強調したい岸田氏にとって、おそらく意図的なものだ。
アジアで平和を維持するには、日本は防衛力を大幅に増強する必要がある――これが岸田氏の主張だ。
他方で専門家たちは、ハト派という定評のある岸田氏だからこそ、日本政府による防衛力増強は政治的により受け入れやすくなると受け止めている。
「ハト派の方がタカ派的に動きやすい。その魂胆を疑われないからだ」と、ブラウン教授は言う。
一線を越える
しかし、日本ではたとえタカ派でさえ、核軍備を口にしない。核兵器の攻撃を受けた世界唯一の国として、核兵器保有の話題が日本で依然としてタブー視されているのは、意外でも何でもない。
それでも、防衛力増強を追求する中で日本は安倍政権や岸田政権のもと、一部で「越えてはならない一線」とみられてきた一線を越えてきた。
日本国内の多く、そして中国など近隣諸国は、日本が今後いったいどのような禁忌を破るのかと懸念している。
いま議論されているひとつは、果たして日本が殺傷力のある武器を、ウクライナのように侵略被害に遭っている外国に提供するべきなのかどうかだ。
岸田氏は今年3月にウクライナを訪れ、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談し、支援を約束した。日本はすでに、殺傷力のない防衛装備品をウクライナに提供している。
これは「台湾有事へ向けたテストケースになる」と、前出の鈴木教授は言う。日本ではすでに、もしも台湾をめぐりアメリカと中国が衝突する事態になった場合、日本がどこまでアメリカを支援するのかが議論になっている。
外国への武器提供にも増して物議をかもしたのが、「核共有(ニュークリア・シェアリング)」だ。安倍元首相は昨年2月に、アメリカの核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有」について、国内でも議論すべきだとの認識を示した。
核共有に対する世論の支持はまだ少ない。岸田首相は核兵器に関する日本の立場と異なるとして、「政府として認めることは難しい」と繰り返している。
それでも、一定の状況下で日本が考えを変える可能性はあると、複数の専門家は見ている。一定の状況とはたとえば、韓国の核武装、中国やロシアからの脅威拡大、あるいはロシアがウクライナで核兵器を使用する――などだ。
日本がまたひとつ、そしてまたひとつと一線を越えるたびに、あるいはその一線を越えようか検討し始めるたびに、戦後日本のアイデンティティー、さらには平和主義をどう堅持するのか、日本人は自問自答を重ねる羽目になる。
軍事化への勢いはあるものの、日本の理念は無事だという意見もある。法政大学で教える平和学の専門家、秋元大輔博士は、日本の平和主義について「一見すると矛盾」してきたように見えるものの、核兵器に反対し戦争に反対する国民感情は生き続けてきたと話す。
今起きていることはただ単に、「戦略的環境の変化に応じて、日本が安保政策を強化している」ことの表れだと、秋元氏は言う。
鈴木教授も同意見だ。「日本の意図を自分は信じている」と鈴木氏は言う。「日本は過去80年間、戦争しないという姿勢を貫いてきた。この国はひどい経験をした。それを二度と繰り返すつもりはない」。
過去と向き合う
本当にそうだろうかと首をかしげる人たちもいる。平和主義の意味を再定義し続けることで、いずれその理念が限界まで伸ばされ、やがて破綻してしまうのではないかと。
広島を訪れていた学生の小倉彩良さんは、政府の「やり方が汚い」と批判する。
「何年か前に集団的自衛権が問題になったときに、例えば近隣諸国が攻撃されたら日本にも危害が及ぶ可能性があるから、自衛隊を派遣して守るみたいなことを言っていた。近隣諸国という言葉の中に、政府は地理的な意味だけでなく、外交関係が強い、結びつきが強い、精神的な意味で、近隣諸国という言葉に色んな国を含めていた」と、小倉さんは指摘する。
「そうやってわざと武力行使するようなチャンスを広げるような解釈をしているのは、やり方が汚いと思う。自衛権の解釈を、憲法が制定された当時から徐々に変えているのが、不信感につながる」
核兵器反対の運動に参加している岡島由奈さんは、「だんだん戦争の準備が始まっている」気がすると言う。「(政府は)一応いまは戦争する気はないと言っているが、いざとなれば戦争できるようにどんどん準備を進めていると思う」。
日本の中に軍事化を良しとする動きがあるのは、日本が自分の過去に国を挙げて直面してこなかったからではないかという意見もある。2つの世界大戦にも触れる平和を扱う学習が、日本では義務教育の中で行われる。しかしそれでもなお、侵略国としてのかつての日本の役割について、第2次世界大戦での日本の残虐行為についての意見交換が、日本国内で目立つとは言えない。
岡島さんの友人で大学院生の神田実鈴さんは、日本と「ほかの国々とのネガティブな歴史は、核兵器の問題で目立たなくなってしまうことがある」と話す。
「私は広島県で生まれた。学校での平和学習は主に広島や長崎の視点で行われて、日本人がいかに苦しい思いをしたかを取り上げる。けれども同時に、平和について考える際には、日本人がほかの国に何をしたのかを振り返らなくてはならないと思う」
岡島さんも、同じ考えだ。「日本政府が加害の歴史と向き合おうとしていない証拠だと思う。だから小さい子には教えないというか。愛国精神を育むためというか」。
「加害の歴史に目を向けなければ、また同じことを繰り返しやすいと思う」
原爆で壊滅させられた広島市は、今では清潔で美しい山間の都会だ。原爆ドームなどいくつかの被爆遺構は残るが、それ以外で戦争の記憶をとどめるものはあまりない。
原爆ドームから元安川の光る川面の向こうに目をやると、すぐそこに平和記念公園があり、原爆死没者慰霊碑がある。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と御影石に刻まれている。
「戦争を起こしたがために最後は広島・長崎に原爆が落とされた」と、箕牧さんは慰霊碑に目をやりながら話した。「広島が丸焼きになり、長崎が丸焼きになり。そういう過ちを起こしたのは旧日本軍だから」。
「戦争を経験するということは、二度とあってはいけない」