まだあどけない男の子が、カメラの前でインタビューを受けている。笑顔だが、その目には強い意志が見え隠れしている(文中敬称略)。
2005年のBBCインタビューで、「オリンピックに出て金メダルが取りたいです」と話したトム・デイリーは、この時わずか11歳。2012年のロンドン大会に向けて夢を温めていたが、それが実現するにはさらに7年が必要だった。
そして今年、東京五輪・水泳の男子シンクロナイズドダイビング10メートル高飛び込みで、マティ・リー選手と共に金メダルを獲得した。
表彰式の最中、デイリーは感極まった様子で涙を流し続けていた。
デイリーは2008年に14歳でオリンピックに初出場して以来、イギリスで誰もが知る存在だ。15歳で世界選手権で初優勝。五輪ではこれまでに銅メダルを2度獲得していた。
英ダイビング界の頂点に立つが、選手としての闘いとは別に、プールの外でも大きな葛藤を抱え、闘い続けた。
学校ではいじめにあい、転校した。ロンドン五輪の1年前には40歳の父親を亡くした。そして2013年にカミングアウトするまで、同性愛者だと公表することを恐れていた。選手として注目されるようになってからは、マスコミともたびたび衝突した。
しかし今では、最も有名なゲイのアスリートの1人として、LGBTQコミュニティーのロールモデル(模範)となった。2017年には夫ダスティン・ランス・ブラックさんと結婚し、翌年には息子ロビーちゃんの父親になった。
夫に、そして父親になってから初の五輪で、ついに金メダルを獲得したデイリーは記者会見で、「ゲイの男性で五輪金メダリストだと言えることに大きな誇りを感じる。このことから大きな力をもらっている」と語った。
デイリーを長年取材してきたBBCスポーツのニック・ホープ記者が、英ダイビング界の「ベイビー」からイギリス五輪チームの「顔」となったデイリーの、金メダルへの道のりを振り返る。
「ベイビー・デイリー」
デイリーは常に五輪を意識して生きてきた。11歳だった2004年アテネ大会、イギリスが男子シンクロナイズドダイビング10メートル高飛び込みで銀メダルを獲得した時のことを、今も鮮明に覚えているという。
その4年後には、デイリー本人が同じ舞台に立つことになった。13歳で2008年の北京大会への切符をつかんだデイリーに、メディアは即座に注目した。
この大会ではメダルを狙わなかったものの、「ベイビー・ベイリー」というあだ名で国民から愛されるようになった。スター誕生の瞬間だが、地元ではつらい目にも遭った。
「学校では喜んでくれる人もいたけれど、ひどいことをする人もいて、いじめられた」
「いじめについては長いこと黙っていた」ものの、そのうち練習もできなくなり、ダイビングを話題にすることも恥ずかしいと思うほど、精神をすり減らしてしまったと言う。
デイリーはホームスクーリングを望んだが、結局は転校することになった。2009年の世界選手権ローマ大会の1カ月前のことだった。
15歳で初の世界選手権に臨んだデイリーは、この大会で優勝。メダルを目指す選手から、堂々たるメダリストに昇格した。
そしてこの時の記者会見では、父ロブさんの存在が大きな話題になった。BBC記者と一緒に会見場に入ったロブさんは満面の笑みで手を上げ、「私はロブ、トムの父親です。ぎゅっと抱きしめたいんだけど」と言ったのだ。
「パパ、すごい恥ずかしいよ……」と、小声で文句を言うデイリーの様子が、映像で残っている。
「あのとき父親は、『トム、お前を練習に連れて行ったのは父さんだ。自転車の乗り方を教えたのも僕だ。子供のころ君のおむつを替えたのも僕だ』と言っていた。自分の息子が世界チャンピオンになって、こんなに誇らしいことはないと言ってくれた」
ロブさんが当時、すでに脳腫瘍の手術を受けていたことを知る人は、家族以外でほとんどいなかった。
父親の死とロンドン五輪
2009年世界選手権での優勝から数カ月後、ロブさんが寛解状態ではなくなっていることが明らかになった。ロブさんは2011年5月27日、ロンドン五輪の1年2カ月前に、家族に見守られて亡くなった。
父親が病気になったことで、自分たちの結びつきはむしろ深まったとデイリーは言う。その父を失った当時の自分は父親の死に「あまり健全に対処できなかった」と思っているそうだ。
「父さんは金曜日に亡くなったんだけど、自分は土曜の朝には練習に出ていた。葬儀は週明けの水曜日だったけど、通夜を途中で抜け出して、全国選手権に行ってしまった」と、デイリーは自分にあきれるように首を振った。
「あれからもっと大人になってみて思い返せば、人生にはダイビングよりも大切なことがある。でも当時の僕には、父と一緒にずっと夢見ていたロンドン五輪に行くのが、ものすごく大事なことだった」
ロンドン大会に向けて、マスコミはしきりに、デイリーの精神状態を話題にした。英ダイビング代表のアレクセイ・エヴァングロフ監督が、体重を落とせと公言したり、マスコミの注目につぶされてしまうのではないかなどと発言を繰り返したことも、プレッシャーになった。
こうした「大きすぎるプレッシャー」にも関わらず、デイリーはロンドンで銅メダルを獲得。2016年リオ大会へ向けたダイビングへの資金獲得に貢献した。
だが、本当に父を悼むことができたのは、大会後のことだったとデイリーは話した。
「オリンピックが終わってから(悲しみが)襲ってきた。本当に大きなダメージだった」
「ロンドン大会のことしか頭になかったので、その先、何をすればいいか分からなかった。数カ月間、引退を考えていた」
デイリーは当時、飛び込む瞬間にたかれるカメラのフラッシュに恐怖を感じるようになっていた。特に、「ツイスター」という技で感じる「脅威」を克服するためにセラピーを受けていた。
また、ふくらはぎのけがを繰り返していたほか、浪費癖があるという「フェイクニュース」に悩まされていた。さらに、まだ自分の性的指向について悩んでいたにもかかわらず、アウティング(本人の許可なく性的指向などを暴露すること)しようとする人たちがいたという。
「子どもは成長する間、矛盾する考えや感情をたくさん抱えている。僕は世間の目の前で、自分の矛盾と取り組まないとならなかった。それが、大変だった」
「自分の性的指向について自分で答えを出すのは、ただでさえかなり難しいのに、常に監視の目にさらされ、他人が真相を解明しようとあれこれ質問してくる状況では、本当に大変だった」
ロンドン大会の翌年、19歳のデイリーは旅行先のロサンゼルスで、後に夫となるダスティン・ランス・ブラックさんと出会った。ブラックさんは、アカデミー賞を受賞した脚本家(同性愛者と公表してアメリカで初めて選挙に当選した活動家、ハーヴィー・ミルクを描いた「ミルク」の脚本で受賞)で、映画プロデューサーだ。
「ランスと出会って、2013年にカムアウトしたおかげで、何もかも変わった」、「肩の荷が下りた」とデイリーは言う。
「悩まなくなったし、怖がるのをやめて、ただありのままの自分でいられるようになった」
ブラックさんのLGBTQ権利活動に触発され、デイリーはイギリス連邦各国に同性愛の非犯罪化を求めた。英連邦53カ国のうち70%に当たる37カ国では、スポーツ選手が同性と関係を持つことが違法とされている。
「こういうことについて、話をしないとだめだ。変化を実現するには、こういう問題に光を当てないと」
リオでの挫折、そして東京へ
2016年のリオ大会は、デイリーにとって「ピークの五輪」になるはずで、イギリス国内でも金メダル候補と目されていた。しかし、シングルでは銅メダルを獲得したものの、シンクロナイズドダイビングでは決勝進出を逃した。デイリーの選手生活で、初めてのできごとだった。
この試合後の会見でデイリーは、東京五輪での復帰を涙ながらに誓っている。
「2016年の時点では、世界が終わったみたいに思っていた。リオで金メダルを取れば、それが最後の試合だと思っていたので」
「でも今ならあの時自分に、『これから結婚して、素晴らしい息子もできる。人生はずっと良くなる』と言いたい」
2021年、27歳になった「ベイビー・デイリー」は、自分はもうチームの「おじいちゃん」だと話す。
10メートルの高さから時速56キロで落下するこの競技の身体的負荷は大きい。選手生命を東京大会まで4年どころか、パンデミックの影響で5年、長引かせなくてはならなかった。この間、ヨガやジャイロトニックなどで体調を整えたデイリーは、今までで一番「精神的に強い」状態で東京入りしたと話していた。
そして迎えた2021年7月26日。男子シンクロナイズドダイビング10メートル高飛び込みの決勝。デイリーにとってはおそらく、金メダルを手にする最後のチャンスだった。この種目は中国勢が2004年以降、連覇を続けていた。この日も曹縁、陳艾森の中国ペアが見事な演技を披露していた。
しかし、中国ペアの最後の演技が終わった時点で、先に演技を終えていたイギリスペアの優勝が確定した。デイリー選手とリー選手は喜びを爆発させた。
イギリスのダイビング選手2人が勝ち、イギリスにとってはこの種目で初のオリンピック・タイトルだった。
しかし、この勝利の意味は表面的なそれをはるかに超える。
デイリーにとってこの金メダルは、20年前に父親と歩き始めた長い道のりの終点だというほかに、インクルージョン(包括性)の重要性を示し、敵意を克服した証でもある。
「子どもの頃は、自分が部外者で他とは違うと感じていた」とデイリーは話す。
「社会に求められる存在に自分はなれないから、自分は何者にもなれないんだと思っていた」
「LGBTの人たちがオリンピックで活躍するのを見て、若い子どもたちが自分を信じ、怖がったり孤独を感じたりしなくなればと思っている」
「あなたがどんな人でも、どこから来たのだとしても、五輪チャンピオンになれる。僕がなれたんだから」